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2016.02.12 Friday

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    大工の育成

    2013.05.24 Friday

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     弊社の社員大工は、現在、すべてが新規学卒者で、教育・訓練・育成した者になった。数年前までは中途入社の社員大工がいたのだが、定年で退職した。ただ社員大工だけでは現場大工仕事がまかなえないので、常に数名の臨時の大工を雇用している。いわゆる一人親方といわれる大工さんであるが、弊社の重要な戦力となっている。
    基本は社員大工で、お客さまから安心して依頼がいただける直用施工体制として、ホームページに名前と顔写真とコメントを掲載している。新しい現場に社員大工が行くと、お客さまの方から名前を呼ばれることがあるという。
     私は若い時より、大工は一から育てなければ職人集団としては強固な企業にならないとの考えのもとやってきた。日本経済が高度成長期のころは、大工になる若者は少なく縁故や組合訓練校の紹介などで見習生を雇い入れても、中途で辞めていく若者が多かった。毎年募集するのだが続かない若者をはらただしく思ったものだが、今から思うと受け入れ側の体制が出来ていなかったのだと思う。
     職業として大工を志す若者は、今でも少なく、近年は高知の工業高校から来てもらっている。見習生は、毎水曜日の訓練校と月2日の大阪の育成塾に通い、現場の作業日は月15日としているが、会社としては労基法上、労働者として給与は規定どおり支給している。総務や不動産部の社員と同じ給与体系であるので、社内では経営上労務原価に矛盾が生じている。
     地方から単身で見習生となった若者は、賃貸住居費や生活費を思えば給与は小遣いではすまなく、17万円程の初任給を支給している。
     見習生を一人前に育てるには会社の負担は相当重いものがあり、社内で新たな見習生を受け入れたくない雰囲気が常に発生するが、押し切って育てている。
     大工として仕事が出来るようになるには人によって違うが、最低5年はかかる。2年前に総務に入った新卒社員は1年程で仕事が出来るようになった。パソコンを使いこなすことが出来たら事務の仕事は大方出来る。不動産部に入った社員はもう少しかかるが、大工の場合は様々な作業を能率よく正確にこなす迄は、手間賃を正規に請求できない。
     弊社で現在大工棟梁として育った中川君は、8ミクロンの鉋ぐずを出すことができるまでに技術を高めた。鉋から出る1000分の8个虜錣蟠は、真綿のように紡ぎ出て、手に包み込んでもかすかな音さえ出ない薄さで、透かしてみると樹脂の細胞が見えるようだ。
     今の公教育は普通教育のみに重きをかけていて、現実社会との結びつきを軽視し、町場の建設技能労働者の育成は、われわれ零細事業者にまかされている。職業訓練を公教育から放逐して、社会に一定必要な建設技能労働者の教育・訓練・育成が出来なければ、だれが町場の建設需要に応えていくことが出来るのだろうか。プレハブメーカーやハウスメーカーの手間請け仕事しか出来ない、まともな鉋削りもままならない、取り付け大工しか残らないのではないか。
     30年程前に入った見習生2人は、大工として一人前になったあと、20代で二級建築士の資格を取ることをめざして育て、30代で一級建築士となった。現在は現場で設計施工管理業務をこなす、頼もしい人材に成長してくれた。業務のかたわら休日・夜間に専門学校に通って、一級建築士に挑戦したのである。
     社内共育で育った3人の一級建築士および一級施工管理技士、その他の資格あわせて現在は技術技能の役職員15名で136の各種資格者集団となった。弊社では、資格に挑戦する場合は、試験前は残業をなくしたり専門学校の学費の半額を補助し、合格すると資格登録費用等は会社負担の制度をつくっている。
     あるとき、中卒で入社した社員が永年の勉学でついに一級建築士に合格した時、次は何をめざすのかと問うと、「社長、もう勉強はいいです。」としみじみ話した。20代から15年間、昼間の仕事に加え、休日・夜間の勉学に本人はつくづく疲れたと。
     わが社は永年に及んで技術と技能を兼ね備えた、大工育成と技術者養成を続けてきた。自覚的なものづくり集団を育てることによって、施工会社としての基礎が築かれたと思っている。これからも人を大切にして次世代につなげていくことで、私の経営責任を果たしていきたいと思う。

    人見 明

     

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